物質化の法則と「公平さの原則」について

イギリスのロンドンに住む、教師マイトレーヤの霊的な教えや国際情勢に関するコメントが、1990年代の『シェア・インターナショナル』誌に掲載されていた。それらは『いのちと目的』(シェア・ジャパン出版、2003年)、『いのちの法則』(2005年)として出版された。
1989年の『シェア・インターナショナル』に載ったマイトレーヤの教えのなかで、「公平の原則」や「物質化の法則」に関するコメントがある。

公平さの原則……英国のサッチャー首相はもうあまり長い間政権の座に留まらないだろう。金持ちはさらに富み、貧乏人はさらに貧しくなる分割統治という単純な方針は、深刻な結果をもたらす。これの一例は、議論を呼んでいる人頭税である。これがサッチャー首相の最大の試練である。
 メンタルな、霊的な、肉体的な法は、これに服従し、尊重することはできるが、決してこれをコントロールすることはできない。「もし、あなたがこれらの法をコントロールしようとするならば、それはあなたを破滅させるだろう」。ここで鍵となる基準は公平さである。(公平な法とはすべてに平等に適用するものである。金持ちを優遇し、貧乏人を差別するような法は公平の原則から外れるものであり、法に沿う原則を尊重するのではなくコントロールしようとする試みである)
 このことは他の分野にも適用する。例えば、もしあなたが物質化の法則を知ったとし、そしてその効果が、ある人に有利で他の人に不利になるように操作すれば、それはあなたを滅ぼす。法はこのような歪みなしに適用されなければならない。
 それゆえ、無執着が人生の中で大切な要素なのである。(1989/4)
(ベンジャミン・クレーム監修、石川道子 編『いのちの法則』、シェア・ジャパン出版、2005年、p.207)

物質化の法則を知り、それを自分の人生に適用しようとする場合、ここで言われているような「不公平な操作」をやってしまい、さまざまな問題を意図せずに生みだすこともあるだろう。
自分の考える「良いこと」あるいは「望ましい状況」を作り出そうとする場合、エネルギーを自分の意志によって方向づけることになる。その方向づけの根拠は、自分の限られた知識と経験が頼りであり、現時点での認識できる範囲は限られたものである。将来にわたって「良い」ままで「望ましい」ことであるかはわからない。
「物質化の法則」を知り、理解している人は霊的なエネルギーにも目覚めていることが多いかもしれない。そのような人にとっては、「望ましい状況」を作り出そうとエネルギーを方向づけることよりも、なにも意図的なことはせずに、エネルギーを流れるままにして、状況を見守る者として生きる方が問題は少ないかもしれない。
それぞれの置かれている状況はさまざまなので、どのようにしたら良いかは、経験を通して学ぶしかないのだろう。